アイスクリームも受験シーズンならではの商品展開である。>ジャイアントビッグコー”ウ”ンとKitKatコーン。
KitKatコーンは初めて見かけた。アイスクリームコーンにKitKatが一本突き刺さっているという見方によってはちょっと強引な作りのコーンアイスである。KitKatは世の中ではいつの間にか勝利祈願ブランドとして定着しているのですね。
アイスクリームも受験シーズンならではの商品展開である。>ジャイアントビッグコー”ウ”ンとKitKatコーン。
KitKatコーンは初めて見かけた。アイスクリームコーンにKitKatが一本突き刺さっているという見方によってはちょっと強引な作りのコーンアイスである。KitKatは世の中ではいつの間にか勝利祈願ブランドとして定着しているのですね。
最近車に目がいくことが多い。決して「車」欲ではないと思うのだが、ちょっと自信がもてない。(怖)
日本車にはいいステーションワゴンもあるし、ワンボックスもいい。そして確かに個性的なユーティリティビークルは増えている。しかし、見渡すとセダンとユーティリティビークルしか走っていない。駐車場にはワンボックスばかり。そして、日本にはいいクーペがすっかりいなくなってしまった。若者の車離れが深刻だという事情や家庭や子供を持たない人もワンボックスやワゴンを買っているというニーズ先行なのか、メーカー戦略にユーザーが誘導されているのか、という鶏卵論の真意はわからないが、いずれにせよ街中をクーペが走っていないのは寂しい。例えば新しいスカイラインクーペなんでカッコいいなと思う。がんばれ日本のクーペ開発者、と言いたい。
最近気になっているのがハードトップカブリオレ(オープン)である。荷物(自転車)の積載のことを考えなくていいのなら欲しい。カブリオレには一言あって、オープンのシルエットが美しいのはもちろんのこと、屋根が閉じたクローズドの状態でも美しいシルエットでないとビビッとこないのだ。判断基準としてはむしろクローズドのシルエットの方を重視しているのかもしれない。ここらへん、ベンツのカブリオレ(SLK、CLK、SL)はさすがに見事なデザインだなと思ったりしている。
もうちょっとだけdown to earthなクラスの車種で最近気に入っているのが、現行型のPeugeot 207CC。これもオープン時のシルエットに加えて、クローズド時のデザインもかっこよく、きちんとクーペとして成り立っているところが優れたデザインだと思う。同じPeugeotでも307CCは個人的にはNGである。
そして日本の小型オープンの代表であるマツダロードスターも気に入っている。個人的には現行型が一番好きだ。ソフトトップ車のシルエットの方がカッコいいが、リトラクタブルハードトップのクローズ状態もスパルタンな感じがして好感がもてる。
オープンではないが最近気になっているのはVolvoの小型3ドアハッチバックであるC30。クーペでもノッチバック型とは違い、ルーフラインが後方まで延びて、垂直に近い角度でストンと落ちるコーダトロンカ型デザインはコレはコレでツボにはまるらしい。自分が最初に所有したワンダーシビックも同様のデザインであったし、当時上級車種としてあったアコードエアロデッキにあこがれたものだ。そして、ゴルフ。ゴルフがなんで(世界の)ゴルフになったのか、一度は所有して納得してみたい。
まぁ想像で何台所有してもCO2排出はゼロということで。
「のだめオーケストラ」LIVE!
音楽ついでいるづいてに。
ジョージ・ガーシュウィンはミュージカルオペラ「ポーギーアンドベス」も好き。
共に出来るかぎりいいものを生み出したい。そのために良かれと思ったたその一押しが、人間関係に意図しないヒビを入れてしまう。そうやって失った信頼や関係を取り戻そうとするのは確かに難しい。しかしそれを取り戻したい。そんなとき、相手が一歩引いているところにこちらが一歩踏み込むことは、さらなる余計な一押しなのだろうか。そうは思いたくない一方で同じ過ちは犯したくない。踏み込むことは思いやりがない行為ではないかとも思ってしまい、躊躇するし、勇気がいる。でも少しでもいいから関係が再構築できればいいと思う。
微妙なさじ加減を要する事象はどうも苦手だ。
街中に振袖姿の女性をみるにつけ、自分の成人式からもう二十年以上経過したんだと感慨にふける一日だったが、最近では普段から車のナンバープレートを見ていても世代の移り変わりを感じるようになった。
希望ナンバー登録制度が始まって、思い思いの番号を付けた車両が走っている。誕生日や誕生年、モデル番号(欧州車に多し)のほかには語呂合わせなど工夫を凝らしたものも多く、道ゆくドライバーを見ながら車に付いている番号の由来を想像するのも面白い。
そんな中、昨日「1988」というナンバー出くわして、自分が免許を取得した後に生まれた人たちがもうハンドルを握る時代になったのだと時の流れの早さを感じていた。翌日思えば、ちょうど今年の新成人だったのね。おめでとう。
写真はいつも目を楽しませてくれる井上さんち(井上オート)の側に停まっていたEsprit S2。「007 私を愛したスパイ」はボンドカー(このロータスエスプリ)見たさという不順な動機で観た記憶がある。
リアル店舗でCDを買う話に触発されて、早速渋谷のタワレコ、HMV、TSUTAYAをウロウロしてきた。案の定、久しぶりのリアル店舗めぐりで音欲が久しぶりに爆発してしまい、気づいたら5枚ほど手に持っていた。どうやらKazen_Talさんほどではなかったようで一安心。(笑) やはり店舗をゆっくりフラフラすると、面白いモノが見つかる。そうやって見つけたのが、歴代iPodのCMで使われている曲が収録されている1。また店舗内にプレーヤーが設置されていて試聴も簡単にできてしまうのがまたマズイ(いや、いい)のだ。そんなプレーヤーで試聴して買ったのが2と3。(3の2曲目があーこれは昔のイーグルズ!という一曲で、一耳惚れ。)最後にレジに並んでいてふと目に入ってしまったベスト版棚から掴んだのが4と5。7と8は棚に戻して帰ってきた。
今日はmorioさんもリアル店舗でお金を落としたようで、記事を書いてリアル店舗にちょっと貢献した気分。(ウソ) morioさんが記事に書いてあるように、リアル店舗に簡単にアクセスできる東京ってスゴイ環境だと改めて感じた。
ひとまずブックマーク。(後でコメントするかもしれません。)
昨日、300人前後の人数を前に挨拶と短いフリートークをする機会があった。
依頼自体は数日前に来ていたにもかかわらず、野暮用やら雑念やらに忙殺されてしまって、話す内容について考え始めたのは当日朝の通勤途中という体たらくだった。それでも掴みのネタと喋りの内容を何とか頭の中で描いているうちに、「フリートークなんだしあとはアドリブでなんとかなるだろう」とヘンな余裕が生まれてしまって、実に中途半端に緊張感がない状態で本番を迎えることになってしまった。
出来栄えは散々。
まず掴みで笑いを取ろうとしたのが、思い切りスベった。自分自身が気持ちの切り替えなく話し始めたものだから、掴めるはずもない。300人を笑わせて引き込むには中途半端な喋りではダメで、テンポやタイミング、インパクトといった”話術”を意識しないと上手くいかないことを身をもって実践した形だ。
そのショックを引きずったまま突入した喋りも、元はといえば付け焼刃的に作り上げて1,2回脳内復唱した程度なものだから、話の展開はかろうじて再現できたものの起承転結の承と転がざっくり抜けたような話になってしまった。結論は伝わったかもしれないが、面白みには欠ける、フリートークとしては不合格な話だったに違いない。フリートークは難しい。アドリブは苦手じゃない方だと思ってはいたが、そういう問題以前に、自分の場合はフリートークこそネタをきちんと仕込まないとダメだと再認識した。それを自然にやってのける人やプロの噺家は凄いなぁと改めて感じた。
「所詮素人の話なんだから、笑いを取りに行ってスベるところこそが面白いんだよ。」という慰めコメントが唯一の救いだったか。「(何人か話した中では)一番まともだった。」というコメントはこの場合は敢えてダメだしと解釈してみる。
年初からコミュニケーションについて考えさせられること多し。
しゃべらないで人の話を考えながら聞いていられるという技についての緊急集会はお美しい女性陣にお呼ばれしたため(^^)席を替わってしまい、残念ながら中座してしまったので最後まで参加できず。白熱した議論が続いたようですね。そんな集会のミキさんとうっきーさんによる”議事録”(以下リンク参照)を読みながら自己分析をしてみた。
自分も喋りながら整理して、喋りながら考える、という点ではミキさんと同じ喋りながらマンタイプである。しかし、(おそらく)ミキさんと違うのは、考えるスピードや整理するスピードが遅くて喋りのペースについていかないものだから、喋りが小バースト(小出し)のようになってしまい、定常的に続かない(=完結しない)のである。 また、喋りながら考えているので整理が追いつかず、的を射ないことを言ったり、主張がかえって発散してしまうことさえある。
一方で、会話止めマンの気持ちもわかる。うっきーさんの記事中の「(1) 何か言おうと思ったら、すでに別の話題に変わっている。(2) 何か言おうと思ったら、他の人に持って行かれる。」という2点は、自分の喋りが(小バーストの合間に)途切れて、次に喋ることを考えていたり口を出すタイミングを計っているうちに遭遇することが多い。ところが悲しいかな、自分という喋りながらマンは完全なる会話止めマンではないから、黙っていられないのである。
このように両面を中途半端に持っている人間がどうなるかというと、既に別の話題に変わってしばらく経っているにもかかわらず、前の話題の続き(の小バースト)を喋ってしまい、「その話はもう終わってんだよ、いまさら何言ってんのおめー」となるわけだ。
コレって最悪だなぁ。どっちでもいいからどっちかになりたい。orz
morioさんのコメントにあるように、CDを手元におく必要がなければ音源は今やオンラインでダウンロード購入できる。ところが自分はまだ音源のダウンロード購入はやったことがない。コンピューターソフトウエアのダウンロード購入は行ったことがあるのでダウンロード購入自体に抵抗はないのだが、楽曲の購入についてはどうにも踏み切れない。
確かにCDを買っても最近はもっぱらiTunesにインポートしてコンピューターまたはiPodで再生するのだから、音源のダウンロード購入でも問題はない。morioさんのコメントを思い浮かべながらそんなことを考えていたが、届いたばかりのCDの封を開けていたらやっぱりそんな考えはどこかに行ってしまった。CDの封を切って帯のキャッチコピーを読む、ケースから真新しいディスクを取り出す緊張感、そして新しいCDの香りがついたライナーノーツや歌詞カード、クレジット、そしてジャケットカバーの表裏を眺めながら音源を聴く楽しみ。そう、新譜を聴くこの”儀式”が外せないから自分はいまだにCDにこだわるのである。昔でいうところの、新しいレコード盤をジャケットから取り出して、針を落とす緊張感に通じるものがある。
Nうめ氏は確か音源をオンラインで購入せず、(きちんと)CDショップに出向いて購入するとブログに書いていた気がする。これもまた音楽を聴くにあたっての神聖な”儀式”なんだと、とても共感するのである。
音源のダウンロード購入にもそれなりの”儀式”が見出せるかもしれないが、今しばらくは前時代(?)の儀式にこだわっていたいと思う。
時々コージーコーナーのミルクレープとスペシャルショートケーキを無性に食べたくなる。
特にミルクレープの生クリームが多目で、ちょっと弾力性のある薄めのクレープ生地とのバランスが素敵なのだ。
今年の初音はコレで行かせていただきます。>沢田研二 : ロイヤル・ストレート・フラッシュ 2 & 3
一時期絶版でなかなか入手できなかった沢田研二のロイヤルストレートフラッシュシリーズが、再発売されたようです。
あぁ、久しぶりにカラオケに行きたい気分。
Cycle Oregon2007の公式DVDのプレビューがYouTubeに公開されています。
自身2006年よりは露出度が上がっていたが、てんてんてん。