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共感は感覚ですけでできるか?

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「共感する女脳、システム化する男脳」という本は是非読んでみたいと思うのだが、その前におのさんが自身の記事でこの本の中での「共感」の定義、そしておのさんの記事中の「共感する」の定義をわかりやすく記していた。有難う。

おのひろきおんらいん : 「どのように他の人の感情や思考を認知しているか」

確かに議論を行うためには皆が同じ定義を使って土俵に立たないと議論は成り立たないですな。良く聞か(ask)ないとダメと書いておきながららコレなんだから困るな。>自分

そう書いた上で、今回は本をまだ読んでいないことをいいことに(笑)敢えてそこで使われている言葉の定義そのものについて意見してみたい。
本では「共感する」ことと「システム化」することが相対する関係として定義されているそうだが、この関係付けが個人的にシックリしないのだ。なぜならば「感情を感じ取る」為にはいくら感覚的に反応する力が強い人でも、感覚だけはなく何らかの形で過去の経験や知恵(特に過去の経験)を論理的に反復して反応しているのではないかと思うからだ。だから自分の中で「共『感』」はその配分はともかく、感覚と論理両方を使って相手の思考を感じ取ることだと自分の中で無意識に定義していたのだ。これこそ感覚的なものなので自分自身もはっきりわからないが、そんな気がしている。どうでしょう?>「感覚的」な方々。
この勝手な定義を適応すると議論は「共感」対「システム化」ではなくて、「感覚主体で共感する」対「システム化主体で共感する」という言い方になり、自分としてはシックリくるのだ。そして「システム化主体で共感する」人は決して共感する「ふり」をしているのではなくて、主に論理を駆使して共感しているということになるのだ。そんな自分の定義を無意識に適応していたものだから「共感のふり」という表現に妙な不自然さを感じてしまったのである。
ところで「システム化主体で共感する」人が論理を駆使して相手の意図を汲み取ろうとする時、論理を駆使して反応を導き出した彼・彼女よりも「意図がわかんねー!!」と嘆く人間くさい姿の方が本当の彼・彼女を見るような(見せて欲しい)気がするのだが、当人にしてみれば果たしてどちらがより”本当の”自分なのだろう。「両方本当の自分だ。バカなこと聞くな」という「システム化する」人の反応が想像できるが。(笑)
この話引っ張り過ぎで申し訳ない。思考の記録の為にどうしても最後に書いておきたかったので。

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