共感性が強い人でも相手の意図を取り違えることはあると思う。また共感性の強い人だからといって無意識に正確に共感できるとは限らないのではないか。それは共感の強弱に関係ない話であり、そんな間違った仮定に基づいたが反応がなされないように、いや、仮定に基づいて反応しなくてもいいようにコミュニケーションの中で「聞く」こと、特にAskが大事なんだと思う。また共感性の強い弱いはそれ自体その人の個性であるから、それをわざわざエミュレートする必要はないんじゃないかという発想は楽観的過ぎるだろうか。共感性の強い人、弱い人それぞれの長所があるんだと思う。
鉄腕アトムの「心のエミュレータ」が結果を導き出す最終段階において、「相手が共感を求めていそうだったらそれまでの判定を覆して共感する」というロジックを組み込んでいるとしよう。自分にとってその鉄腕アトム(のエミュレータ仕様)は賢明かもしれないが、自分の本心(本来の反応)を必ずしも表に出さないヤツだという評価になるかも知れない。無論アトムは素直にプログラムに従っただけで、バグったわけでもないし、それは不誠実になれというフィルタ(気持ち)でもない。そして評価の良し悪しは自分がアトムに何を求めるのか、ということでも変わってくると思う。その挙動はアトムの個性(仕様)であり、評価する自分の主観も個性である。それには正解間違いなど当然ない。自分の場合、アトムには自分の意図をよく理解して欲しいと思う一方で、アトムがそれに対して本当にどう思っているのか、素直にに反応して欲しいし、自分もアトムに本心をインプットしていきたいと思う。結果的にアトムが共感してくれるならそれはスバラシイことではあると思うが。
コミュニケーションを円滑に進めるのも大事、でもコミュニケーションの目的は相互理解だと思うし、自分の場合、本心を語らず腹の探りあいをするのはアウトプットのみがすべてであるビジネスネゴシエーションだけで充分。(笑)それを言いたかったんだな。
こんなことを考えている自分がそもそも共感性が強いのか弱いのか、わからなくなってきた。(苦笑)