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善意のベルの音色

ばか野郎2とベル」「ベル、補足」にこぐさんから反応アリ。
そりゃこぐさんに法律を引っ張り出されたらかないません、勘弁してくださ~い。(^^;)
譲り合いの心、という趣旨の一致には同感。こぐさんの法の解説に感謝しつつ法令要旨を鑑みながら「危険を防止するためやむを得ないとき」って「(自車の存在を知らせることで)危険を(事前に)防止するために(口頭では気が付いてもらえないので)やむを得ず」なんて解釈も出来るな~などと考え・・・違うって!!!
確かに法律の詳細は参考になるが、「ばか野郎2とベル」ではそれが論点ではないつもり。まして上に書いたような法の解釈論をするつもりはない。
法律は可能な限り遵守するべきであるのは確か。原則的には全ての法律に遵守しなければならないのだろう。しかしもっと大事なのは、法律を杓子定規に守るということよりも、その趣旨や目的を理解した上で、個々がその理念や意図を柔軟に現実に当てはめて実践する、ということだと思う。杓子定規じゃない現実、個別が存在する現実において法律の理念や目的を個人個人が適応させていく、ということが変化と個性の社会にとって大事なのではないかと思う。
自転車にベルを鳴らされて暴力と思う歩行者もいれば、鳴らして存在を知らされた方が安心と思う歩行者もいる。歩�道においては歩行者が最優先であり、その保護に最善を尽くすべきという法の目的を意図した善意の「ベル」である限り大きな問題にはなっていないないはず。その善意に付随する双方の譲り合いの精神、挨拶、笑顔・・・がベルの音色を心地よいものにするはずだから。
問題はその理念を意識していない「ベル」。その脅迫感と威圧感がベルを悪者にする。
結局は鳴らす個人の心構えに行き着くんだよね。その心構えが正しければ大前提としては鳴らさないにこしたことはないのは自明なはず。

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このページは、@nak(あ)がSeptember 14, 2004 11:46 PMに書いたブログ記事です。

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