ABC Newsのポッドキャスト「Nightline」を聞いていた。
イギリスで起きた同時テロ事件の容疑者としてパキスタン系のイギリス人が挙げられた事で、イギリス国内ではパキスタン系住民への風当たりが厳しくなり、ギクシャク感が生じ始めているそうだ。またブレア首相は会見において「問題の深いところには国外要因がある。」とパキスタンへの責任追及ともとれる発言をしている。
それに対し、シャラフ首相はテロ撲滅に対するイギリスとの同調を表明しつつも、「パキスタンに対する一方的な責任転嫁」に対して不快感を示している。容疑者は生まれも育ちもイギリスである「イギリス人」であることを強調し、「問題は団体の活動を制限していないイギリスにあり、啓蒙活動を許すことでテロの温床を生んでいるイギリスにこも問題があるのではないか。」と反論している。(イギリスでは過激派団体の言論自由と引き換えに国内テロを起こさないという暗黙の了解がIRAの解体以降存在するということを聞いたことがある。)過激派思想の根絶をパキスタンに求めるブレアの言い分は理解できるが、それは手付かずになっている自国における”水際”阻止にも着手してこそ相乗効力を発するものではないだろうか。また今回パキスタンをその槍玉にあげたのは、容疑者のルーツがパキスタンにあったからではないのでろうか。(繰り返すが、彼らは生まれも育ちもイギリスのイギリス人なのである。教育も思想のインプットもイギリスで受けているはずなのだ。)容疑者がアフガニスタン系の人間やイラク人であったらどの国を責めていただろうか。イギリスにおけるパキスタン系住民に対する態度の変化、ブラジル人の容疑者誤認と射殺と”肌の色”が見解、発想や疑念に本来あってはならない悪影響を与えているような気がしてならないのだ。少なくとも国を統治する立場にある者がそのような影響を受けるとは考えたくない。
肌の色、その人のルーツで人を一括りにしたり個人を判断してしまう人間の悪しき習性は時を経ても治らないものだろうか。幼少の時期に矢面に立たされた経験があるのでその思いも強いのかもしれない。
パキスタンの立場
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://www.atnak.com/blog/v2/system/mt/mt-atnaktb.cgi/1166